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東京地方裁判所 平成11年(ワ)13121号 判決

原告 藤野宮子

原告 藤野一紀

原告 藤野由紀

右三名訴訟代理人弁護士 石井誠一郎

被告 国家公務員共済組合連合会

右代表者理事長 寺村信行

右訴訟代理人弁護士 赤松俊武

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告藤野宮子に対し、金二八一二万八八七七円、同藤野一紀及び同藤野由紀に対し、各金一三〇六万四四三八円及びこれらに対する平成一〇年七月二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、亡藤野幹忠(以下「幹忠」という。)の相続人である原告らが、幹忠は被告の経営する病院において健康診断(いわゆる人間ドック)を受けたが、その際に撮影された胃部X線検査フィルムには精密検査を指示すべき異常所見が認められたにもかかわらず、右病院の検査担当医師が右異常所見を見落としたため、亡幹忠は早期に精密検査を受ける機会を失い、その結果、胃がんが進行し、かつ、他にも転移して、結局死亡するに至ったと主張して、被告に対し、損害賠償を請求するものである。

一  争いのない事実等

1  当事者

原告藤野宮子(以下「原告宮子」という。)は、亡幹忠の配偶者であり、原告藤野一紀(以下「原告一紀」という。)及び原告藤野由紀(以下「原告由紀」という。)は、幹忠の長男・長女である。

被告は、東京都千代田区九段南二丁目一番三九号所在の九段坂病院(以下「被告病院」という。)を経営している法人である。

2(一)  幹忠は、平成六年、被告病院と健康診断(人間ドック)契約を締結し、同年九月六日、被告病院において、身体計測、血圧検査、視力検査、聴力検査、呼吸機能検査、尿検査、血液検査、肝臓等内臓超音波検査、心電図検査、眼底検査、胸部X線検査、上部消化管検査、内科健診を受けた(以下「平成六年健診」という。)。

(二)  被告病院は、幹忠に対し、平成六年健診において、超音波検査の結果、左腎結石の疑い、大動脈の石灰化を指摘した(いずれも、それ自体に病的意義を認めず、放置していてかまわないとの判定がある。)が、上部消化官(胃)については異常が認められないと判定した。

3(一)  幹忠は、平成七年、被告病院と健康診断(人間ドック)契約を締結し、同年一〇月二五日、被告病院において、平成六年健診と同様の諸検査を受けた(以下「平成七年健診」という。)。

(二)  被告病院は、平成七年健診において、上部消化官(胃)について異常は認められないと判定した。

4  幹忠は、同年一二月二七日、虎ノ門病院で内視鏡検査を実施したところ、胃に進行がんの所見が見られたため、平成八年一月一〇日、虎ノ門病院に入院し、同月一九日、胃の全摘手術を受けた。その際、がんが他に転移していたため、胃の全摘のほか、食道・腸・膵臓・脾臓・肝臓・リンパ節の一部も摘出した。虎ノ門病院の最終診断は、<1>噴門部前壁のドーナツ状の潰瘍性病変、<2>胃体上部から胃体下部の後壁の浅い凹性病変、<3>幽門前庭部大弯の隆起性病変であった。<1>の病変が進行がんで、<2>の病変は早期がんであり、<3>の病変は良性腫瘍である(なお、別紙の図参照)。

5  幹忠は、平成一〇年七月二日、<1>の病変をもとにした胃がんにより死亡した。

二  当事者の主張

(原告らの主張)

1(一) 人間ドックの検査においては、健診担当の医師は、精密検査を指示すべき異常所見(実際の異常のほか、異常と疑われる所見をも含む。以下同じ。)を発見し、精密検査を指示すべき注意義務を負うものであるところ、平成六年健診時に撮影した幹忠の胃部X線検査フィルムには精密検査を指示すべき異常所見が認められたにもかかわらず、被告病院の医師は右注意義務に違反してこれを見落とし、精密検査を指示することなく異常なしとの判定をしたものである。そして、平成六年健診時、幹忠の胃には既にがんが存在しており、この時点においてこれを発見していれば、幹忠は完治、少なくとも延命できたものである。

(二) 同様に、平成七年健診時に撮影した幹忠の胃部X線検査フィルムには精密検査を指示すべき異常所見が認められたにもかかわらず、被告病院の医師はこれを見落とし、精密検査を指示することなく異常なしとの判定をしたものである。そして、平成七年健診時、幹忠の胃には既にがんが存在しており、この時点においてこれを発見していれば、幹忠は二箇月早く手術を実施することができ、少なくとも延命できたものである。

2 このように、被告病院健診担当医は、平成六年健診及び平成七年健診のいずれにおいても幹忠の胃の異常所見を発見し、精密検査を指示すべき注意義務があるにもかかわらずこれを怠ったものであるから、被告病院は債務不履行責任ないし不法行為責任(民法七一五条一項、七〇九条)を負うものである。

3 原告らの損害は次のとおりである。

(一)(1)  幹忠の逸失利益 金三二二五万七七五五円

幹忠は、平成九年当時、共済サービス株式会社に勤務し、年間九二九万一四一七円の給与所得を得ていた。幹忠は、死亡当時六七歳であったが、胃がんによって死亡しなければ、平均余命一五・五八年の二分の一である七年間毎年は右金額を下回らない所得を得たものと考えられ、右金額を基にライプニッツ係数五・七八六三を乗じて中間利息を控除し、生活費としてその四割を控除すると、幹忠の逸失利益は、三二二五万七七五五円と計算される。

(2)  幹忠の慰謝料 金二〇〇〇万円

(3)  原告らは、幹忠が有する右(1) (2) の損害賠償請求権を、相続により取得した。

相続分は、原告宮子が二分の一、原告一紀、原告由紀がそれぞれ四分の一である。

(二) 弁護士費用(原告宮子) 金二〇〇万円

(被告の主張)

原告らの主張はいずれも否認ないし争う。

三  争点

1  平成六年健診において、担当医師は、撮られた幹忠の胃部X線検査フィルムにつき疾病に繋がる異常所見があることを疑い、精密検査を指示すべきであったか。

2  平成七年健診において、担当医師は、撮られた幹忠の胃部X線検査フィルムにつき疾病に繋がる異常所見があることを疑い、精密検査を指示すべきであったか。

四  本件鑑定の実施方法

本件の争点は前記三のとおりであるところ、当裁判所は、消化器病を専門とする医師において、本件の各胃部X線検査フィルムから精密検査を必要とするような異常所見を判読することが可能であるか否かを判断するため、以下のような方法で鑑定を実施した。すなわち、財団法人日本消化器病学会から同学会所属の医師五名の推薦を受け、右五名を鑑定人として選任した上、右各医師に、本件の各胃部X線検査フィルムを提供して(その他、本件の各健診において作成された問診表による問診結果を添付した。)、個別に右フィルムに精密検査を指示すべきと考えられるような異常所見が認められるか否かについての鑑定を求めた。

第三当裁判所の判断

一  人間ドックの健診における担当医師の注意義務について

人間ドックによる健診は、必ずしも自覚的には異常のない者を対象に各種の検査を行うものであって、右健診のみによって診断が確定するというものではなく、これを端緒に更に精密検査をして、診断を確定することが予定されているものである。したがって、担当医師は、人間ドックの検査結果において、直ちに疾病に繋がる異常所見であるとは断定できないとしても、異常所見が疑われ、精密検査をすれば、それが疾病に繋がる異常所見であるかどうか判断できると考えられる場合、受診者に対してそれを告げて更に精密検査を受診するよう指示すべき注意義務があるということができる。

二  そこで、本件において、平成六年健診及び平成七年健診の際の幹忠の胃部X線検査フィルムにつき、右のような意味で精密検査を指示すべきと考えられる異常所見を判読することが可能であるか否かについて検討する。

1  平成六年健診における胃部X線検査フィルムについて

(一) 本件各鑑定の結果は、次のとおりである。

(1)  鑑定人細井薫三(以下「鑑定人細井」という。)は、胃入口部から噴門部に隆起状病変を示唆する異常所見が認められると鑑定した。なお、「撮影技術に対する意見」として、上部消化管X線検査としては、不十分で質の悪い写真しか撮影されていないため、読影が難しいとしている。

(2)  鑑定人望月福治(以下「鑑定人望月」という。)は、精密検査を指示すべきと考えられるような異常所見は認められないと鑑定し、その理由として、本件は、撮影上及び読影上ともに難しい牛角胃(又は横胃)であることを挙げた。

(3)  鑑定人八尾恒良(以下「鑑定人八尾」という。)は、胃体部大弯側に皺襞集中と粘膜粗ぞうと大小不同の顆粒状病変の異常所見が認められると鑑定した。

(4)  鑑定人飯田三雄(以下「鑑定人飯田」という。)は、精密検査を指示すべきと考えられるような異常所見は認められないと鑑定した。

(5)  鑑定人丸山雅一(以下「鑑定人丸山」という。)は、胃体上部後壁から弯窿部にわたる伸展不良あるいは陰影欠損と考えるべき異常所見が認められるなどと鑑定した。また、「胃が小さい」印象があるとも鑑定した。

(二) 以上によると、五人の鑑定人のうち三人が精密検査を指示すべきと考えられる異常所見があると鑑定したが、異常が認められると指摘した鑑定人の間でも、異常を認める胃の部位及び異常の内容は一致していない。また、それらは虎ノ門病院の幹忠の死因に関する最終診断と必ずしも一致していない(ただし、細井鑑定人は、噴門部の隆起性病変の疑いを指摘しており、その限りで虎ノ門病院の幹忠の死因に関する最終診断に一致している。もっとも、同鑑定人は、平成七年健診における胃部X線フィルムについてではあるが、それは噴門部小弯から後壁にかけて存在するとしていて、結局、虎ノ門病院の幹忠の死因に関する最終診断とは一致していない。なお、以上については、別紙の図参照。)。

2  平成七年健診における胃部X線検査フィルムについて

(一) 本件各鑑定の結果は、次のとおりである。

(1)  鑑定人細井は、噴門部小弯から後壁側に隆起性病変を示唆する異常所見が認められ、幽門前庭部にポリープが認められると鑑定した。なお、「撮影技術に対する意見」として、上部消化管X線検査としては、不十分で質の悪い写真しか撮影されていないため、読影が難しいとしている。

(2)  鑑定人望月は、精密検査を指示すべきと考えられるような異常所見は認められないと鑑定し、その理由として、本件は、撮影上及び読影上ともに難しい牛角胃(又は横胃)であることを挙げた。

(3)  鑑定人八尾は、胃体部大弯側に皺襞集中と粘膜粗ぞうの異常所見が認められると鑑定した。

(4)  鑑定人飯田は、噴門部直下に隆起状病変を疑うべき異常所見が認められると鑑定した。なお、同人は、右の異常所見は、どこかに病変が存在するという視点で見直した場合で、かつ、平成六年健診の胃部X線フィルムと比較して初めて疑われる所見であると指摘している。

(5)  鑑定人丸山は、胃体上部後壁から大弯にかけて腫瘤陰影・胃外性圧排像・陰影欠損・壁の不整の異常所見が認められるなどと鑑定した。また、「胃が小さい」印象があるとも鑑定した。

(二) 以上によると、四人の鑑定人が精密検査を指示すべき異常所見が認められると判断しているが、異常を認める胃の部位及び異常の内容は異なっている。また、うち一名(鑑定人飯田)を除く三名の指摘する異常の部位は虎ノ門病院の幹忠の死因に関する最終診断と一致していない(以上については、別紙の図参照)。

3  以上によると、平成六年健診における胃部X線検査フィルムについては、五人中三名の鑑定人が、平成七年健診における胃部X線検査フィルムについては五人中四名の鑑定人が精密検査を指示すべき異常所見が認められるとしているが、異常所見があるとする鑑定人の間でも、異なった胃の部位に異常を認めており、鑑定人間の意見は全く一致していない(すなわち、結論だけをみると、精密検査を指示すべきと考えられる異常所見があるとする鑑定人が過半数を占めてはいるが、胃のある特定の部位に異常所見が見られるかどうかというレベルになると、過半数の鑑定人の判断が一致した箇所はないのである。しかも、異常の内容についても各鑑定人の意見は一致していない。)。また、各鑑定人により異常所見が認められるとされた部位は、平成七年健診における胃部X線検査フィルムについての飯田鑑定人のそれを除くと、虎ノ門病院における幹忠の死因に関する最終診断結果とも一致しない結果となっている。そして、鑑定人飯田は、同人の右判断は平成七年健診における胃部X線検査フィルムについて、どこかに病変が存在するという視点で見直した場合で、かつ、平成六年健診の胃部X線検査フィルムと比較して初めて疑われる所見であると指摘している。また、鑑定人望月は、本件は、撮影上、読影上ともに難しい牛角胃(又は横胃)であると指摘しているし、鑑定人細井は、「撮影技術に対する意見」として、本件では、上部消化管X線検査としては不十分で質の悪い写真しか撮影されていないため、読影が難しいとの指摘をしている。このような点を総合すると、結局、消化器病の専門医の医療水準を前提としても、本件の各胃部X線検査フィルムの読影は容易でないのであって、平成六年健診及び平成七年健診における各胃部X線検査フィルムから、幹忠の胃のある特定の部位に精密検査を指示すべきと考えられる異常所見を判読し得たということはできないといわざるを得ない。そして、このように胃のある特定の部位について精密検査を指示すべきと考えられる異常所見を認識できたといえない以上(担当医師は胃部X線検査フィルムを見て、幹忠の胃のどこか特定の部位に精密検査を指示すべきと考えられる異常所見が認められるかどうかをまず判読し、それに基づいて精密検査等を指示するということになるものであり、胃の特定の部位の異常所見を判読できたかどうかを問題としなければならないものである。)、被告病院において幹忠の人間ドッグ健診を担当した医師につき、幹忠の胃部X線検査フィルムにおいて、精密検査を指示すべきと考えられる異常所見を認識できたにもかかわらず、それを認識せず、その結果幹忠に精密検査を指示することを怠ったとの注意義務違反は認められないというべきである。

よって、その余の点について判断するまでもなく、本件において、被告が債務不履行責任ないし不法行為責任を負うとの原告らの主張は理由がない。

三  よって、原告らの請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大坪丘 裁判官 本間陽子 裁判官 辛島明)

別紙<省略>

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